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八代目、物思いにふける

「未来の食卓」は僕の未来の食卓。

 みなさん、フランスのドキュメンタリー映画『未来の食卓』ご覧になったこと、ありますか?
昨年の秋ごろ(だったかな?)に上映され、食にたずさわる人たちの間で静かなブームをよんだ映画。遅ればせながら、僕もやっと観ました。

 南フランスのバルジャック村で、「学校給食と高齢者の宅配給食をオーガニックにする」試みを1年にわたって追いかけた内容。

 観た後に、なぜだろう。ちょっとため息がでちゃった。うまく表現できない、なにかこみあげるもの。心の奥底ではいつも考 える。理想を追い求め、こだわり抜いて、それで喰っていけたら言うことなし。でも、現実、(今は)そうはいかない。どんなにこだわりをうたっても、激安商 品にかなわないときだってあるし、もっともっとこだわっている人たちがいて、「あぁ、僕はまだまだ努力が足りない」と思い知らされる。

 日本では、「給食を子どもにだしてくれとたのんでいない。学校が勝手にだしているだけ。」と言って、「いただきます」「ごちそうさま」を言う必要はないといい、挙句、給食費を払わない親もいるというから驚きだよね。
誤解を招くことを承知で言わせてもらうなら、そういうのって、都会のことだけかと思ってたの。それが違うっていうから、もっとショック。そういう人たち は、給食の内容や、素材がどこでつくられたとか、どこから運ばれてきたとか、そんなことは考えないだろうね。寂いしいなぁ。
ある本を読んだら、写真付きで現在の給食事情を伝えていたの。予算配分とカロリー計算から生まれる「なんじゃこりゃ??」組み合わせ給食。現代は、昔に比 べると油分と糖分の摂取過剰で、病気までもが欧米化しているでしょう。全国の学校給食が毎日、本に掲載されている内容だとは思わないけれど、「いちばん大 切なこと」が消えかかっているようで、なんだかつらい。

 命あるものをいただき、僕らは生きている。それはとっても単純なことで、でもとっても奥が深いこと。
生かされていることに「いただきます。」「ありがとう。」お天道様にはかなわないこともやっとわかった。どんなに頭からけむりだして考えたって、人間の思う通りには、特に自然は事すすまない。
子どもの将来を考えた時、「いただきます」「ありがとう」が素直に言える環境をつくってやるのが親のつとめだと思う。それに、大人が「いただきます」や「ありがとう」が言えないなんて、なんか、カッコ悪いじゃん。

 映画は「オーガニック」をうたっていて、できることならボクもそうなればいいと思う。でも、簡単にはいかない。
日本の農業は化学肥料や農薬依存がまだまだ高いし、急に切り替えても土に作物を育てる力がない。ボクが田んぼや畑にすがりつくのは、農業を生業としていな いボクが、「まず、やってみる」ことがボクにできることなのかなぁ・・・と思って。失敗したら、次成功させるためには・・・と考える。そしてやってみる。 成功して、失敗して、成功して・・・・・。そうやって、きゅうり畑や大豆畑、田んぼを少しずつつくってきた。

 でもね、この映画を観て、「オーガニックが大事」ということも、もちろん思ったけど、ボクたちのまわりで最初に考えなくちゃいけないと思ったのは、食品添加物と化学肥料や農薬をできるだけ減らしていくということ。
簡単で、しかも便利。これはわかる。それに「美味しい」とも思う。人工的な味に慣れてしまったボクたちの舌とカラダに、命ある食物を届けないと。豊かな心を育むのは、豊かな食生活のような気がするんだよね。

 ボクの究極の理想は自給自足。そしてそこに「心」があること。食べるときには「いただきます」といい、食べ終わったら「ごちそうさま」、感謝のときは「ありがとう」。かんたんなことだけど、簡単なことではなくなってきたらしい。
ボクはちゃんと愛情を言葉で表現したい。食べるものがきちんとすると、それができるようになると思うの。
「未来の食卓」は、人間の健康や、いま、作物はどのようにつくられているのか、現状を伝えていた。そして、バルジャック村が選択した「オーガニック給食」 は未来をすこやかに過ごすためのひとつの方法。どんなものを作り、どのような商品をお客様に提供していくか、会社の方針を決定づける機会は今までもたくさ んあった。だから、今があるの。
そして、「未来の食卓」。映画にでてくる子どもたちの笑顔がボクに勇気を与えてくれる。「社長、そのまま突っ走れ!」って言ってくれてるような気がして。

 思い込みは強いんだよね、ボク(笑)。

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